調理に自信がない方からプロの板前志望の方まで
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築地にあるのになぜ日本橋?
築地にあるのになぜ寿司日本橋すし教室なのか?
すし教室を始めたのはもう10数年前になりますが、当時は日本橋で寿司日本橋という実店舗を営業しており、店の厨房でレッスンを行うというスタイルでした。
営業中の寿司屋の板場でレッスンを受けられるというのがある意味「売り」で、珍しさも手伝い、多くの方が習いに来てくださり好評を博しておりました。
2016年のこと、付近一帯が再開発をするということで店を閉めました。
再開発後に同じ場所で店舗を再開することも出来たのですが、自身の年齢も考慮し、寿司屋は廃業して教室一本で寿司職人の育成に努めることといたしました。
それで現在は築地に移り、すし教室だけを行っております。
教室の寿司日本橋という名称は、当教室の歴史の一部、並びに私の人生の一部として残しております。そのような訳で、築地にあるのに日本橋というわけです。
寿司職人の育成がコンセプトではあるものの、いざ教室を開いてみると様々なニーズがあることが分かりました。
- 自分で握って食べてみたいというニーズ
- 家族や友人に自分で握った寿司をふるまいたいというニーズ
- 観光で訪れた日本の食文化に触れてみたいという外国の方のニーズ
- もちろん、プロの寿司職人を目指す方のニーズ
すし教室を始めた頃の「営業中の寿司屋の板場でレッスンを受けられる」という特徴こそ失われましたが、現在も多くの生徒さんが通ってきてくれます。 誠にありがたいことですし、寿司屋の板場ではありませんが、明るく清潔な教室で日々指導に励んでおります。
寿司日本橋すし教室講師:浅井隆司
寿司日本橋 すし教室 ご挨拶
江戸前寿司の発祥から21世紀の現在に至るまで、時代は変わっても、寿司業界で寿司職人になるためには、私自身がそうであったように、寿司屋に入って長い修行に耐えなければいけないというのが実情です。
しかし時代も移り変わり、出前専門店や回転寿司ではロボットが握る昨今、寿司屋の修行も、その在りかたは多様性が求められていると感じます。
お寿司は世界的な注目度も高く、日本の代表的な食の伝統文化ですから、長い修行を経て身につける技術の意味や正当性は疑い様もありません。
しかし、寿司修行にもいろいろなカタチや考え方があっていいと私は考えます。
- ホームパーティーのおもてなしの一つとして寿司のにぎり方を学びたい
- 定年退職後の第二の人生に、短期で修行して寿司屋を開業してみたい
- 仕事で日本に赴任していた外国人の方が、寿司を覚えて帰りたい
- 寿司職人を目指し、不況下でも安定した職に就きたい
- 海外の寿司店に勤務することになり、日本で腕と技を磨き模範となりたい
- 居酒屋のメニューを見直して、新たに「お寿司」をメニューに加えたい
- ブランクがあった寿司職人経験者が、技術の再確認をしたい
などなど…
たくさんの想像もつかないニーズがあることをこちらの反響で知りました。
私が営んでいた寿司日本橋では、当時、サイト上に寿司教室のページを設けており、思いのほかたくさんの方々に寿司の基本を教える機会に恵まれました。
そして、一様に喜んでくれるその姿と真剣に学ぶ姿勢に感銘を受け、数多のニーズに応えるべく、2011年寿司教室を新設しました。
世の中には、規模の大きい寿司の専門学校もあるでしょう。
しかし、日々稼動している寿司屋の厨房で学べる教室はありませんでした。
規模は小さいながら、店主自ら皆さんに生きた寿司を教え込む…
これぞまさしく本物の寿司教室と云えると自負いたしておりました。
(先述の通り、移転に伴い寿司屋での授業はできなくなりましたが…)
皆さんのやる気と思いをそのまま「お寿司」というカタチで握ってみましょう。
新たな感動がきっと見つかります。
夢や憧れがカタチとして握れるまで、講師の私は一生懸命あなたを指導します。
寿司は食べて旨いだけでなく芸術です。そして握れるあなたはアーティスト。
寿司日本橋の寿司教室であなたもぜひ「お寿司を握れる」ようになってください。
おもてなしで握れる程度のテクニックからプロの寿司職人養成まで、幅広く充実したカリキュラムであなたの参加をお待ちいたしております。
寿司日本橋すし教室講師:浅井隆司
講師 浅井隆司のプロフィール
1973年 高校卒業後、老舗の寿司店「大黒鮨」で修行を開始
1979年 調理師免許取得
1980年 25才にて寿司店開業
2011年 寿司教室開講
2016年 再開発によリ寿司日本橋閉店
2017年 寿司教室を築地に移転(現教室)